ロシアの音楽家は天才なのでトリビアでも調べようと思った話
すぱしーば、太太です。
タイタイ、子供の頃は音楽の世界にどっぷり浸かっていました。特にロシアの音楽家が好きで、チャイコフスキーの音楽に幼稚園時代から恋い焦がれていました。
ロシアは素晴らしい音楽家をたくさん排出した国です。地理ブログとくるめてロシア発の音楽家を紹介したいと思います。
①チャイコフスキーはヴォトキンスク生まれ
ロシアの音楽家=チャイコフスキー(1853〜1893年)です。
チャイコフスキーはバレエ音楽が有名ですよね。タイタイは「くるみ割り人形」「白鳥の湖」「眠れる森の美女」などが大好き!あの繊細でメランコリック、楽しそうかと思うとぐどーんと沈んじゃうような音楽は、ロシアの土地に生きたからこそできたものだと思ってます。
チャイコフスキーは同性愛者とか言われてましたが、そんなのはどうでもいいの。チャイコフスキー大好き。
チャイコフスキーはウラル山脈の西側にあるヴォトキンスクで生まれ、10歳でサンクトペテルブルグの法律寄宿舎に入れられました。音楽の道とは関係ないところで生きていこうとしましたが、大人になって方向転換。学び直し音楽家として大成します。
サンクトペテルブルクはシャレオツで素敵なところ。チャイコフスキー少年は多感な少年時代をこの地で過ごしたんです。そして、音楽を学び直したのもサンクトペテルブルクです。
サンクトペテルブルクのケッペン気候はDfb(亜寒帯湿潤気候)です。ロシアというか、ほぼヨーロッパであり、町並みも全然違うんですよね。エルミタージュ美術館も素晴らしいし、褒める言葉しかでてきません!
②ラフマニノフはノブゴロド生まれ
ロシアの偉大な音楽家といえば、セルゲイ・ラフマニノフ(1873〜1943年)も外せません。
彼の音楽は「ピアノ協奏曲第二番」が有名で、ドラマ「のだめカンタービレ」でも採用されていました。メランコリーで情熱的!この曲も大好きです。
ラフマニノフは1873年にロシア西部の田舎町ノブゴロドで生まれました。ご両親はともに貴族のご出身でいいとこの子だったのですが、計画性がなく、家はどんどん没落。しまいには両親が離婚どぼーん。しかし、ラフマニノフ少年は音楽の道へ進むことを許され、モスクワ音楽院でスクリャービンと競いながら力をつけていきます。
モスクワもケッペンの気候区分でいうとDfb(亜寒帯湿潤気候)です。ヨーロッパは西岸海洋性気候が多いんですけど、ロシア内陸に入るとさすがに亜寒帯エリアに入ってきます。
ラフマニノフが尊敬していたのはチャイコフスキーであり、彼の影響をもろにうけるようになります。
ラフマニノフは1917年にロシアを出国して以降、ロシアの地を踏むことはありませんでした。けれど、海外で演奏活動や作曲活動をしていても、やっぱりなんだかだいいつつロシアが気になり、ロシアに恋い焦がれていました。
ラフマニノフはカリフォルニアのビバリーヒルズで亡くなり、アメリカで埋葬されています。カリフォルニアは、ケッペンの気候区分でいうところの地中海性気候。アメリカなのに地中海なの。それは偏西風のおかげよぅ。
ラフマニノフの晩年は、とても気候の落ち着いた場所で過ごせたわけですから、体的には楽だったんじゃないかなーと思います。
③ムソルグスキーはブスコフ生まれ
3人目はモデスト・ムソルグスキー(1839〜1881年)です。
ムソルグスキーはロシア五人組と呼ばれる音楽家の1人であり、ロシアの民謡やロシアの人の生活を表した歌曲を多く書きました。
私は組曲「展覧会の絵」が大好きです。美術館に入ってワクワクするような気持ちをあらわした気持ちだけでなく、なんか不安になるようなテイストも入ってるの。
うまくいえないんだけど、ムソルグスキーはチャイコフスキーやラフマニノフとはちょっと違う毛色。が、ロシアの音楽を支えた重要な人物です。
ムソルグスキーは、ロシア北西部のブスコフという場所で生まれました。彼も結構よいところのお子さんであり、幼少時からピアノを習わせてもらったり、エリート養成機関の学校に入学してたの。
でもね、芸術家の定めなのね。チャイコフスキーやラフマニノフ同様、ムソルグスキーも精神的に病んでしまいます。ムソルグスキーはアル中になってしまい、うえーんな生活になってしまいました。心臓発作により42歳という若さで世を去ってしまいました。
彼が亡くなったのはサンクトペテルブルク。ケッペンの気候区分では、Dfb(亜寒帯湿潤気候)でした。
というわけで、独断と偏見でロシアの音楽家3人をピックアップしました。地理と絡めて勉強しようそうしよう。そして、みんなチャイコフスキーを好きになってください。彼は天才です。