太太の世界なぞなぞブログ

世界地理を勉強中。「はて?」と感じたことをブログで綴ってます。

歴史地区と旧市街についての話

こんにちは、太太です。

世界遺産は旧市街が該当することも多いんですよね。古いものを大事にせよって意識が強いからでしょうか。

 

というわけで、今日は歴史地区と旧市街についての話です。

 

 

プラハの歴史地区(チェコ

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聖ヴィート大聖堂プラハ

 

1992年、プラハの歴史地区は文化遺産登録されています。宗教や芸術、学問の中心地であったプラハには、数多くの歴史的建造物や趣のある街並みが広がっているからです。

 

プラハはカール4世の時代神聖ローマ帝国の首都でもありました。

 

カレル橋(ヴルタヴァ川の東岸と西岸を結ぶ橋)

プラハ城(ボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城だった)

ティーンの聖母聖堂

旧市庁舎

聖ヴィート大聖堂

 

聖ヴィート大聖堂は、99mの鐘楼をもつ建物であり、チェコで一番大きな教会です。プラハ城の内側に位置します。カール4世の命で再建工事がはじまり、1929年に完成しました。ゴシック建築の象徴であるバラ窓があります。

 

ちなみに、カール4世は1316年〜1378年まで生きた人です。

 

シエナの歴史地区(イタリア)

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カンポ広場

イタリア中部の都市シエナは、1995年に歴史地区が文化遺産登録されました。シエナは12世紀ごろから市民による政治組織コムーネが成立し、数百年に渡って自治を行ってきた都市です。

 

しかし、14世紀半ばにペストの大流行がおこり、人口が激減。16世紀中頃にはフィレンツェ公国に合併されました。

 

シエナが栄えた時代の建造物が世界遺産に登録されたというわけですね。14世紀に完成したマンジャの塔、世界で一番美しい広場といわれるカンポ広場などが歴史地区に点在しています。

 

カンポ広場は、もともとは激しい傾斜のある土地だったのを平らにならし、扇形のかたちにした広場です。

 

シギショアラの歴史地区(ルーマニア

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シギショアラ

 

ルーマニアの中部にあるシギショアラは、13世紀にドイツ商人たちが作った城下町です。彼らはギルドを形成し、1367年には自治都市になりました。その頃の文化が世界遺産登録されています。

 

吸血鬼ドラキュラのモデルとなったヴラド三世(ヴラド・ツェペシュ)の生家が有名です。

 

ブダペスト ドナウ河岸とブダ地区、アンドラーシ通り(ハンガリー

ブダペストは、10世紀末にマジャル人が建国したハンガリー王国の首都として歴史を伝えるブダ地区と、近代ハンガリーを象徴するペスト地区からなっています。

 

1987年に世界遺産に登録されたのは、旧歴史地区のブダ地区です。ブダ城は、18世紀になってからマリア・テレジアが大規模な増改築を行いました。

 

 ⑤ポルトの歴史地区(ポルトガル

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ドンルイス1世橋

ポルトポルトガル第二の都市であり、ドウロ川沿いに栄えています。位置はポルトガル北部、港湾都市です。1996年に文化遺産登録されました。

 

ポルト市内には、聖グレゴリウス聖堂、大聖堂、ボルサ宮、聖フランシスコ聖堂、サン・ベント駅、ドン・ルイス1世橋、セラ・ド・ピラール修道院などがあり、海洋交易で発達した商人の街並みが残っています。

 

ポルトはワインの輸出港として発達しました。新市街にはワイン工場が立ち並んでいます。

 

ドンルイス1世橋は、エッフェル塔を設計したギュスターブ・エッフェルの弟子のテオフィロ・セイリグが設計しました。

 

⑥リガの歴史地区(ラトビア

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ユーゲントシュティール様式

 ラトビアのリガ歴地市区は、カトリック布教の拠点として気づかれた商業都市で、1997年に文化遺産登録されました。

 

ラトビアは旧ソビエトでありますが、13世紀の初頭は宣教師と十字軍によって造られた街です。その後、ドイツから商人がやってきて13世紀後半にはハンザ同盟に加入しました。旧市街にはドイツの香りを残す建物が残っています。

 

リガのアール・ヌーヴォー建築(ユーゲントシュティール様式)は、ミハエル・エイゼンシュテイン(ロシア出身の建築家)が有名です。彼はリガで建築家として成功しました。彼の設計物はアルベルタ通りにあります。

 

リガの4割がユーゲントシュティール様式であり、新市街にも多くみられます。

 

⑦ドゥブロブニクの旧市街(クロアチア

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ドゥブロブニク

 クロアチアのドゥブロブニクは、ラグーサ共和国として栄えた歴史があります。地中海交易の拠点になっておりますが、地震ユーゴスラビア内戦・崩壊により、深刻なイメージをうけました。

 

聖ブラシウス教会や城壁は復興を遂げつつあります。

 

⑧ウィーンの歴史地区(オーストリア

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ウィーンの高層ビル例

 

ウィーンはハプスブルク家の王都として栄えた地です。2001年に歴史地区が文化遺産に指定されましたが、高層ビル建設計画がたちあがり、2017年に危機遺産リストになりました。

 

ウィーンの歴史地区には、聖シュテファン大聖堂やベルヴェデーレ宮殿などがあります。なお、旧市街を取り囲んでいた城壁跡には、リンクシュトラーセと呼ばれる環状道路が走っており、その沿線に近代的な公共建築物が建っています。

 

⑨モスクワのクレムリン赤の広場(ロシア)

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クレムリン

 1990年に世界遺産認定されたモスクワのクレムリン赤の広場は、モスクワ大公、ロシア帝国ソビエト連邦ロシア連邦の歴史を刻んできた地区です。

 

クレムリンと聖ワシリー大聖堂、赤の広場は隣接しています。

 

クレムリンは約2.25kmの城壁に囲まれており、中に宮殿があります。ロシアの大統領府や大統領官邸が置かれています。城内にはウスペンスキー大聖堂などがあります。

 

⑩鼓浪嶼(コウロショ)コロンス島の歴史的共同租界(中国)

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コロンス島


 

アモイは1873年にイギリスと中国の間で結んだ不平等条約により開かれた港の1つとなり、港町として発展してきました。

 

その中で、コウロショと呼ばれる島には、1903年外国人のための居留地(国際共同租界)が造られました。コウロショではアモイデコスタイルが造られ、ヨーロッパと中国の文化が混ざり合っています。

 

コウロショは植民地時代にピアノ博物館がつくられた経緯から、ピアノの島と呼ばれることもあります。音楽教育が盛んな地域です。コウロショは、アモイ市からフェリーで8分の場所にあります。

 

ケベック旧市街の歴史地区(カナダ)

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シャトーフロントナック

カナダがフランスの影響をうけるのは1534年からであり、探検家ジャックカルティエがヌーヴェル・フランスと名付け、フランス王が植民地化しました。

 

その後、1774年にケベック法が制定され、ケベックはイギリスの植民地でありながらフランス民法や信仰、フランス語の使用が認められました。旧市街にはカナダ最大級のシタデル(要塞)やシャトーフロントナック(ホテル)などが残ります。

 

 

 

 

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